仕事の達人
第
3
回
PMOという新ビジネスを作った
若きエバンジェリスト
※転職情報誌type2008年6月号より転載

株式会社マネジメントソリューションズ
代表取締役
高橋信也氏
福岡県生まれ。上智大学経済学部を卒業後、1996年にアンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)に入社。プログラミングから業務設計まで幅広い工程を経験した後、2001年よりキャップジェミニ(現・クニエ)のマネジャーとして経営管理・業績管理のコンサルティングプロジェクトに携わる。2003年に大手メーカー系列のシステム会社に転職し、当時の最年少プロジェクトマネジャーとしてグローバルシステムの開発プロジェクトなどを担当。その後、社内にPMOを設置する。2005年7月に独立し、現職に
今、システム開発やプロジェクト運営の世界で「PMO」というサービスが脚光を浴びている。耳慣れないこのビジネス、世に普及させたのは、あるベンチャー企業を起業した高橋信也氏。元・コンサルタントの彼は、ある「常識」に対する疑問から、PMOビジネスの持つ大きな可能性を見出した。その“直観力”の源泉はどこにあるのか。その生い立ちに迫った。
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「プロジェクトマネジャー(以下、PM)」とは、SEやコンサルタントとして豊富な経験を積んだ人がやる仕事。そんなイメージを抱く人は多いのではないだろうか。だが、マネジメントソリューションズ代表取締役の高橋信也氏は、この常識に真っ向から異を唱える。
「PMに向いているのは調整役タイプです。優秀なSEは、『最後は自分がやれば何とかなる』と思っているから、プロジェクトの管理が甘くなる。むしろ、SEやコンサルとしてこれといった強みがなく、日の目を見なかった人の方が適していたりするのです」
今年で35歳になる高橋氏は、プロジェクトを運営するPMの意思決定や業務をサポートする「PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)ビジネス」を展開している。ある大手メーカー系列のシステム会社で大規模プロジェクトを運営していた時、PMOの重要性に気付き、2005年に自らPMOのアウトソーシングサービスを始めた。このコンセプトが多くの企業に絶大な支持を受け、現在では業績も倍々ゲームで拡大しているという。
大学を卒業してからわずか9年で、時代のニーズを的確にとらえるビジネスモデルを構築した高橋氏。なぜ、異例なスピードで成功を収めることができたのか。その秘密は、地元・福岡で過ごした高校までの日々に隠されていた。
父親の背中を見ながらビジネスの基本を学ぶ
高橋氏の仕事観は、「おやじ」の影響によるところが大きい。福岡で広告代理店を経営する父親の背中を見て育ち、「ビジネスとは、自分で営業して商品やサービスを売り、対価を受け取ること」という基本を学んだ。小学校の卒業文集に、高橋氏は「将来は自分で会社を作る」と書いている。
そして高校時代には、水泳部のキャプテンとして組織マネジメントの基礎を知る。通っていた福岡県立修猷館高校は、創設が江戸時代という地元では有名な名門校。水泳部も非常に伝統を重んじる気風で、ユニフォームや練習法の変更すらままならない状態だった。
「ある女子部員が、『冬は学校のプールが使えないので、スイミングスクールで練習したい』と言ってきたことがあったんです。周りは『冬は陸上で身体を鍛えるのが伝統だ』と猛反対でした。彼女の言い分は正しいのに、なぜ問題になるんだろう。伝統が正しいことをやる足枷になるのなら、自分が変えなければ。そんな、憤りに近い使命感を感じていましたね」
いわゆるチェンジマネジメントの原点に触れた時期だった。こうして、幼少のころからビジネスマインドを醸成してきた高橋氏は、大学在学時も企業から協賛金を集めて『ジュリアナ東京』でイベントを開催するなど、ビジネスを生み出す面白みに没頭する。
父親から、日本のコンサルティングの第一人者である大前研一氏の本を勧められたのは高校時代。経営コンサルティングという仕事があることを知り、以前からの関心事だったチェンジマネジメントを実行するには、情報システムが欠かせないということも知った。その両方を学べる場はないか。その問いの答えが、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)への就職だ。
1996年に入社後は、主に金融機関向けのシステム開発を担当。IT関連の本を月20~30冊も読みあさり、夢中で仕事に取り組んだ。
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